スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

木村拓コーチ力尽く…37歳早すぎる

巨人の木村拓也内野守備走塁コーチが7日午前3時22分、広島市内の病院で、くも膜下出血のため死去した。37歳だった。木村さんは2日にマツダスタジアムで行われた広島‐巨人の試合前、練習でノックを打っている際に突然倒れ、意識不明の状態に陥っていた。現役時代は日本ハム、広島、巨人でプレーし、ユーティリティープレーヤーとして活躍。“キムタク”の愛称でファンから愛された。巨人ナインだけでなく、広島時代の同僚、阪神・金本知憲外野手(41)らは沈痛な面持ちで試合に臨んだ。この日のプロ野球全6球場では黙とうが捧げられた。

 祈りは届かなかった。
広島に住む愛妻と3人の子どもたち。故郷・宮崎の両親らも駆けつけ、奇跡を願った。しかし5日後のこの日、願いは届かず、他界。冷たくなった木村拓コーチは、由美子夫人の手によって巨人のユニホームを着せられ、3人の子供たちと過ごした広島市内の自宅へと帰っていった。

 悲劇は、2日のマツダスタジアムでの広島戦の試合前に起こった。シートノック中、木村拓コーチは突然ふらつき、前のめりに倒れた。異変に気付いた選手、コーチらが一斉に駆け寄った。

 チームドクターによって、人工呼吸や心臓マッサージなどが行われ、そ生処置に用いられるAED(自動体外式除細動器)も持ち込まれた。すぐに広島市内の病院に搬送され、「くも膜下出血」と診断されたが、清武球団代表によると、この時点で「レベル5の最悪な状態だった」という。

 木村さんは1990年に捕手として日本ハムにドラフト外で入団後、外野手に転向した。94年に長冨浩志投手との交換トレードで広島に移籍した後には、内野にも挑戦。厳しい練習と持ち前の器用さで、スーパーサブとしての地位を確立した。

 04年にはその守備力を買われ、アテネ五輪日本代表に選出された。しかし06年には、若返りを図った当時・ブラウン監督の方針から1軍に上がれず、シーズン途中に巨人へ山田真介外野手との交換トレードで移籍した。

 この時、年齢は30代半ばに差し掛かろうとしていた。だが、再び輝きを取り戻し、原巨人のリーグ3連覇、日本一奪還に貢献。09年9月4日のヤクルト戦では、ベンチ入りの捕手が足りなくなり、捕手として出場したこともあった。

 昨年オフ、19年の現役生活を終え、内野守備走塁コーチに就任した。今春のキャンプでは、慣れないノックを必死に練習した。そして迎えた2010年の開幕。「俺がノックで空振りすれば、みんなの気持ちも和らぐだろう」。そう言って笑顔を浮かべた姿は、もう見られない。まだ37歳。第2の人生を歩み始めたばかりだった。
(引用:ライブドアニュース)

奇跡は起こらなかったか・・・
ご冥福をお祈りいたします。

tag : 巨人 木村拓也 内野守備走塁コーチ くも膜下出血

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。